タイトルで心を掴まれた『幻の女』

こんにちは! 物語屋のひっひーです。僕は本屋さんに行って、のんびりと書架の背表紙を眺めるのが好きなんです。そうしているうちに魅力的なタイトルが目に入って来たら手に取って、ぱらぱらと冒頭を立ち読みして、気に入ったら購入する……。

これは本好きの方には理解してもらえる性癖ではないかと思うのですが、そんな僕が背表紙を追っていて「おっ?」となったのがウィリアム・アイリッシュ『幻の女』です。

これまで読んできた小説をジャンルごとに分けると、大部分を占めるのはミステリーなのですが、それに次ぐジャンルは悲劇小説です。僕はオペラ鑑賞が趣味ということもあり、悲劇には非常に関心を持っています。

悲劇といえば、悲劇のヒロインですよね。特にフランス文学史でロマン派が登場するまでの古典派の時代では悲劇小説の時代といってよいほど悲劇小説が大量に出版されています。そこにはやはり悲劇のヒロインというものが存在します。

高貴な女性が破滅的な恋愛に走り、やはり身を滅ぼす。それはある種お決まりのパターンとなっていますが、その自我と欲望に純潔さが見られるからこそ悲劇小説は美しいと思うのです。

他に女性、というもので僕が好きなのは、魔性の女です。『カルメン』ですよね(笑)。

つまり僕は、女性が中心となっていたり、重大な鍵を握っていたり、主人公だったりする物語が大好きなんです。その点で言うと、『幻の女』というタイトルを見た時は全身に電気が走るほどの衝撃で、運命の出会いのようにも感じました。

そんな、タイトルだけで僕を虜にした『幻の女』。実はこの小説、現代まで多大な影響を及ぼす歴史的名作だったんです!



あらすじ

まずはハヤカワ文庫の新訳版の裏表紙に掲載されているあらすじを引用します。

妻と喧嘩し、あてもなく街をさまよっていた男は、風変わりな帽子をかぶった見ず知らずの女に出会う。彼は気晴らしにその女を誘って食事をし、劇場でショーを観て、酒を飲んで別れた。その後、帰宅した男を待っていたのは、絞殺された妻の死体と刑事たちだった! 迫りくる死刑執行の時。彼のアリバイを証明するたった一人の目撃者‟幻の女”はいったいどこにいるのか?

つまり街をさまよっていた男、スコット・ヘンダースンは関係の冷え切っていた妻と喧嘩をし、アパートを飛び出しました。妻と二名分予約していた夕食、そして劇場のチケットのために、スコットはナンパをするわけです。女性は美しく、スコットは美女と何時間も一緒にいたのですが、警察に聴取を受けるとこれといった特徴を思い出せなかったのです。

スコットはアリバイを証明できず、逮捕されます。そして実況見分のため、その夜彼がいたはずの店、場所を巡りますが、誰もスコットのいう女性のことを「覚えていない」というのです。

男が一人でいたか女性連れだったかを誰も覚えていないなんておかしい、ということでスコットは早々と送検され、裁判では死刑判決を下されます。

ですが捜査担当だった一人の刑事が、もしかしてスコットの言ったことは本当だったのではないかと思い始め、彼の独房に訪れて「誰か幻の女を探してくれる友人はいないのか」と言います。彼は警察官という立場上、解決済みの事件のために表立って動けないのです。

そこでスコットは現在南米に五年契約の仕事をしに行っている親友ロンバートならもしかしたら、と言い、刑事がロンバートを呼び戻します。

事情を聞いたロンバートは親友の無実を信じ、死刑を覆すため、スコットに代わって幻の女を探し始めるのですが、肝心の女は一向に見つからず、死刑執行日が刻一刻と近づいて来る……そういった話なんです。



海外ミステリーならではの展開

日本の推理小説と海外の推理小説の一番の違いは何か。特に警察小説という点で言うと、裁判があるかどうか、です。日本の警察小説では裁判は殆ど描かれませんが、海外の警察小説では裁判というのはかなりの分量で描かれます。

なぜか、日本ではまずあり得ない見切り逮捕を海外の警察はしてしまうからです。たとえ無実の容疑者でもアリバイがなかったり、無実の証拠がなければとりあえず逮捕して送検、起訴してしまうからです。要するに事件の真相解明は検察と弁護士の仕事で、警察はあくまで容疑者を逮捕することに徹しているからです。

ところがその警察の中に事件に疑問を抱いている人がいて……そこから物語が動き出すというパターンが多いです(絶対ではありません。あくまで多いというだけです)。

つまり海外警察小説の場合、真相が明らかになるのは法廷だったり、量刑が確定した後になります。これはこれで死刑囚が無罪放免になって大逆転という面白さはありますが、いやいや、無罪の人を見切り逮捕すな、と思ってしまいますよね。

その点日本の警察は緻密ですし、犯人である確証がなければ(証拠が揃わなければ)逮捕状は出ません。検察に送検した後も、検察官は裁判で勝てる材料(証拠)がなければ不起訴処分にします。つまり日本の場合、法廷に立った時点で事件の証拠はすべて揃っているわけです。これは日本の有罪率にも通じるものです。

だから日本の警察小説の場合は見切り逮捕などはせず、警察が真相にたどり着き、犯人を逮捕して事件を立証するところで物語は結末を迎えるわけです。

海外の警察は横着と言ってしまえばそうですが、その横着さがあるからこそ、『幻の女』のような物語が生まれるのです。

見切り逮捕される容疑者は気の毒で仕方がありませんし、スコットの場合死刑判決まで下されて、その執行日が決まっているわけですから、このドキドキ、ゾクゾク感は堪りませんが、やはり海外ならではかなあと思います。

死刑を免れることはできるのか。目次のいやらしさ

章ごとに目次がついている小説も珍しくありませんよね。でもミステリーの場合、各章のタイトルを見るだけで話の筋が読めてしまうこともあって、それは謎解きを楽しみたい読者としてはちょっと……。

『幻の女』にも各章にタイトルがあって、ド頭に目次として各章のタイトルが並んでいるんですが、笑うしかないくらい、話の筋が読めない、わからないといった目次になっているんです。その目次を以下に掲載します。

1死刑執行日の百五十日前

2死刑執行日の百五十日前

3死刑執行日の百四十九日前

4死刑執行日の百四十九日前

5死刑執行日の九十一日前

6死刑執行日の九十日前

7死刑執行日の八十七日前

8死刑執行日の二十一日前

(中略)

20死刑執行日の三日前

21死刑執行日

22死刑執行時

23死刑執行日後のある日

こんな感じで、死刑執行日に向かってカウントダウンしていくように章タイトルがつけられていて、展開はまったくわかりません。

しかも死刑執行時があって、その次が死刑執行日後のある日って、死刑されたの? どっちなんだ!? と最後までドキドキしながら読むことができるんです。

僕はいつも、ミステリーとは事件が解決して終わるものだという先入観を持ってしまうので、読みながら、どんな難事件でも天才探偵がどうにかしてくれると安心して読んでしまう節があるのですが、『幻の女』に関してはそうはなりませんでした。

目次を見て、これは死刑されるんじゃないか。幻の女が見つからないので、これは本当に死刑されるんじゃないか、とドキドキしながら読みました。当然、ページを繰る手は止まりません(笑)

どうなるんだ、どうなるんだ、死刑執行日後のある日って何だ? スコットは死刑になって、その後が描かれているのか? それともスコットは死刑を免れて、ハッピーエンドになっているのか? どうなんだよぉー! と心の声がだだ洩れになりながら、最後のほうは本当に一気読みしていました。

ネタバレはしませんが、最後どうなっているのか。「えっ? えっ? えー!」こんな感じです(笑)とにかく歴史的名作なので、ぜひおすすめです!

おわりに

最後まで読んでいただきありがとうございました!

タイトルに一目惚れした『幻の女』ですが、思いがけず世界的名作と出会うことができ、感激しました。これもまた、ネットショッピングでは味わえない書店ならではの醍醐味ですよね!

解説を読んでいると、どうやら『幻の女』はミステリーファン以外の読者層にも非常に親しまれている作品だそうです。そういう作品は珍しいんだとか……。

それに『幻の女』は現代のミステリーなどの元ネタになっていることもあるそうで、僕自身、読みながら「これ、あの話にも通じるんじゃね?」と思うことが何度もありました。

皆さんもぜひ、『幻の女』ご一読ください!



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